MACF礼拝説教要旨
             2016.05.22
「古いアダムからキリストの中へ」
ローマの信徒への手紙5章
5:12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
5:13 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。
5:14 しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
5:15 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。
5:16 この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。
5:17 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
5:20 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
5:21 こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
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1)ひとりの人:アダムによる深刻な状況

パウロはこの箇所でとても明確にアダムに属している人間の現状を述べています。
1)ひとりの人により罪が世に入り、罪によって死が入り込んだ 12
2)一人の人の罪により死が支配するようになった 17 
3) 一人の人の不従順によって多くの人が罪人となった 19
パウロは最初の人アダムをいわば人類の総代表と理解し、その人からの影響がすべての人間に及んでいるのだと教えています。そして、そのアダムは、罪と死と死の支配を人間全体にもたらすことになったのだというのです。これは私たちにとっては、いわば不可抗力です。すべてアダムのせいで罪の傾向も死の現実も私たちにもたらされたのです。
さらに悲しいことに、私たちはすべて、生まれながらにして「アダムに属している存在( In Adam)」という宿命的な生き方を余儀なくされているのです。
「カインの末裔」という本がありますが、厳密には私たちはすべて「アダムの末裔」であり、アダムの影響をしっかり受けてしまっているのです。

2)最後のアダム:イエス・キリスト

人間が罪と死に支配されている現状をもたらした最初の人アダムは神の栄光を表すことができず、むしろ深刻な問題の中にすべての人を陥れることになりました。しかし、神はアダムの深刻な状況を放置するようなことはなさいませんでした。5:14「実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。」とあるように、もうひとりのアダム、最後のアダムと呼ばれる救い主を世に遣わす計画を持っておられたのです。このお方こそ古いアダムに変わって新しい人類の総代表としての役割を担う存在としてきてくださいました。
パウロはコリントの信徒への手紙1の15章にこう書いています。
15:21 死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
15:22 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。

15:45 「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。
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神の計画は私たちを古いアダムに属する状況から、最後のアダム、新しいアダムの中に引き入れ、そのお方の影響と恩恵の下に私たちを置いてくださるということでした。
ですから、
5:15 一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。
とあり、アダムは罪と死をもたらしたけれど、最後のアダム、イエス・キリストは「恵みの賜物」をもたらしてくださったと書かれています。
そして
5:18 一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
5:20 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
5:21 こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

アダムが全人類に影響を及ぼし、罪と死の支配をもたらしたとすれば、私たちに主イエス・キリスト、最後のアダムの影響は全人類に救いをもたらすこととなりました。
どんな人にもその救いは届けられているのです。
それはイエス・キリストが十字架で、アダムに代表されるすべての罪を処分するための犠牲となったからです。アダムに属していた私たちが、最後のアダムであるキリストが私たちを生かすお方なのだと気づかされた時、私たちは「キリストに属しているもの」となっているのです。

私たちはかつては、「アダムに属する存在( In Amam)」でしたが、神の恵みにより、キリストの贖いによって、「キリストに属する存在( In Christ)」とされました。
この立場の変化は「重大」です。生身の私たちは、アダムに属しているわけですが、キリストがきてくださったことで、キリストに属し、アダムの影響からもたらされた「罪と死による束縛」から解放されて、神の恵みの中に生き、神の救いを経験し、永遠のいのちの希望をもって生きられるようになるのです。
アダムのもたらした「悲惨」をことごとくキリストが抹消し、「希望」と「喜び」と「安心」の中に生きられるようにしてくださったのです。