MACF礼拝説教要旨
                          2016/07/24
「執り成し」
8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
8:27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
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1)どう祈るべきか知らない
私たちは普通、言葉を用いてコミュニケーションを取り、言葉で説明し、言葉で大事なことを伝えます。
しかし、辛い状況にいるとき、言葉にすることが難しく感じることがあります。言葉にしてしまうと、そのまま答えを出されてしまうような気がするし、言葉で語ると問題がとても単純なもののように感じることがあるからです。
「どうしてですか?」「なぜですか?」と尋ねられて言葉に詰まることがあります。
それは、言葉にすることで自分の問題を固定化し、客観化していく中で、心の中のもやもやした感情とか、あれかこれか行きつ戻りつしながら悩む自分の全体が言葉によって「軽いもの」のように感じてしまうからなのかもしれません。
言葉にできない感情があります。表現できない痛み、悩み、苦しみが存在します。
苦難とか、苦悩というのは、第三者はクールに言語化して説明までできるように感じますが、当事者は、とても言葉にすることが辛い場合が多いのです。
ですから、「祈るための言葉が見つからない」ということがあるのです。
そして、それゆえの不安も増大します。誰も自分の悩みをわかってくれる人はいないのではないかと感じるからです。自分でも言葉にできないような複雑な悩みを他者がわかるはずがないからです。

2) 聖霊による執り成し
パウロは、私たち人間が言葉にできない悩みを持っている時、聖霊はその言葉にならない内容を「うめき」として神に届けてくださるのだと教えています。
私たちと父なる神の間に立って、私たちの心の内側にある様々な問題、苦難をしっかり受け止め、神に届けてくださる役割を聖霊が担ってくださっているとパウロは教えています。
「執り成し」というのは、私のために誰かが間に入って「謝罪」したり「紹介」したり、「懇願」したりしてくれることを意味しています。
私のために、聖霊が父なる神の前に(平たく言えば)「頭をさげ、なんとか聞き取ってくださるよう懇願してくださっている」ということになります。
実生活においても、そういう存在はありがたい存在であり、大いに助けになる存在です。
振り返ってみると、私はいろいろな場面で「執り成し」をしていただいて、ここまで来たなぁと実感します。

3) 聖霊ばかりでなく、イエス様ご自身も
8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

パウロは聖霊による執り成し、ばかりでなく、主イエス様ご自身も私たちのために執り成してくださっていることを教えています。
つまり、私たちが失敗し、よそ見をし、繰り返し道を逸れるようなことがあっても、聖霊もイエス様もともに、父なる神の前で「執り成してくださっている」というのです。弁護し、弁解し、謝罪し、なんとか取り入ってくださるよう懇願してくださっているのです。