MACF礼拝説教要旨    2019.12.15
「おめでとうマリア」
ルカによる福音書1章
26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30 すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている
37 神にできないことは何一つない。」
38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
+++++++++
1)マリアへの告知:おめでとうマリア
「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。」ではじまる御使いカブリエルのマリヤの受胎告知の挨拶ですが「アヴェ・マリヤ」ということばの出典はここにあります。
「アヴェ」とはラテン語の挨拶用語です。
マリアは驚いたと思います。意味不明だったのではないかとさえ感じます。そして反論もしています。最終的には天使の説明に対し、全部は理解していなくても神様のおこころが実現しますようにと願いを表明し、受託しています。ここにマリアの素晴らしい一面が描かれています。
38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
これは、私達と神様との関係において、もっとも重要な姿勢なのかもしれません。
「主のおこころが、その言葉通り、その願い通り、この身に、そしてこの人生にもたらされますように」という姿勢です。
私達は常に、「自分にとっての最善」を願い、それを求めます。それは人間として当然の欲求なのかもしれません。しかし、神様からの介入や、心への語りかけがあったとき、自分の都合ではなく、神様の思いが実現しますようにと思う心はとても大切です。
それは自分の人生に神様が「主なる存在」として働く場所を提供することにも繋がります。
多くの場合、私達は神様をまるでしもべのように働かせようとしていないでしょうか。
祈りの内容を考えればすぐわかります。「これしてください」「これをお願いします」「あれを与えてください」などなど、これらは結局、神様を利用する祈りに近いかもしれません。
もちろん、このように祈ってよいのです。でも、同時に「神様にとっての最善がなりますように」という心が育たないと、神様を神様として働いていただく場所はなくなります。マリアはそれを知っていた人でした。

2)エリサベト訪問
マリアは自分の出来事を知ってから、すぐ親戚のエリサベトを訪問します。エリサベトの妊娠を天使から聞かされたからです。なぜ行ったのかという説明はありませんが、いくつか考えられる理由の中にマリアはエリサベトとの交わりを望み、互いに支援的な関わりを深めるために行ったのです。
「神様のみこころがなされますように」、という祈りと同時に、天使から情報として知らされた親戚のしかも高齢のおばさんの妊娠を心配し、
ガリラヤからユダまででかけて行きました。ガリラヤからユダの山間部までの距離は決して近くありません。でも、マリアはそこに出かけエリサベトの家に3ヶ月間滞在します。マリアの妊娠も、エリサベトの妊娠も社会的にはどちらかといえば、大喜びされるものではありませんでした。マリアの妊娠もエリサベツの妊娠も聖霊の助けによるものでした。それは人からは理解されにくいものでした。だからこそ、このふたりの間に「神に喜ばれた存在」としての共通項を深め、神に感謝し、神をたたえあう時間とそういう支援的な意識が必要でした。
このふたりの女性の中にあるのは、「神への信頼と霊的な深い分かち合い、支援の心」です。
お互いに「神様におめでとう」と言われたふたりだということを認め、社会的には弱者に属する二人ですが、神様に感謝しながら、お互いのことを神様に感謝しあうことができました。
そういう交わりこそ、人を活かす交わりです。「私はあなたのことを神様に感謝しています」といえる分かち合いが大事です。
それがわかると、この記事は実に感動的な内容であることがわかります。
1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
・・・・・
1:56 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
1:57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
**
神への信頼と深い感謝の分かち合い、それが人を活かす原動力になります。
礼拝で養われるべき内容、それはまさに、マリアの告白と行動によって示された「神への信頼と神への深い感謝の分かち合い」です。
イエス様の誕生には、ヨセフの信仰とマリアの信仰による行動が必要でした。考えてみれば、神がその独り子を世に遣わすにあたって、選んだ人たちは社会的には弱い人達でした。でも、そこにこそ慰めがあり、神様の心が誰に向いているかわかります。